《説明義務違反》
医療事故の裁判では、検査や手術そのものに問題があったかどうかとは別に、患者に十分な説明がなされていたかどうかが争われることがあります。これを説明義務違反といいます。ここでは、説明義務がどのような考え方に基づくものなのか、そして裁判ではどのように扱われるのかについてご説明いたします。
《説明義務は自己決定権を支えるもの》
医療行為は、身体にメスを入れたり、薬剤を投与して生理的な変化を生じさせたりするものです。本来であれば身体を傷つける行為にあたり、医師が行うというだけで当然に正当化されるものではありません。患者本人が十分な情報を与えられたうえで同意しているからこそ許されるのだ、というのが基本的な考え方です。
したがって、説明義務と同意は表裏の関係にあります。同意書に署名があったとしても、その前提となる情報が提供されていなかったのであれば、本当の意味で同意があったとはいえません。
《患者本人が知らなくてよい時代があった》
現在では当然のことに思われるかもしれませんが、かつては、がんの告知を本人にはせず家族にのみ伝えるということが広く行われていました。最高裁平成14年9月24日判決は、医師が患者本人に末期がんであることを告げなかった事案について、家族に対して告知すべきであったかどうかを判断しています。本人への告知が当然の前提とはされていなかった時代の空気がうかがえる事案です。
その流れを大きく変えたのが、いわゆるエホバの証人輸血拒否事件(最高裁平成12年2月29日判決)です。宗教上の理由から輸血を拒否する意思を明確にしていた患者に対し、医師が輸血の可能性を説明しないまま手術を行ったという事案で、最高裁は、患者がそのような意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重されなければならないとしました。医療の正しさとは別に、患者自身が決めることそのものに価値があるという考え方が明確にされたのです。
《何をどこまで説明すべきかー乳房温存療法事件》
説明義務の枠組みを示したものとして、乳房温存療法事件(最高裁平成13年11月27日判決)があります。最高裁は、医師は手術を実施するにあたり、診療契約に基づき、特別の事情がない限り、当該疾患の診断、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療法があればその内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があるとしました。
この事案では、当時まだ医療水準として確立していなかった乳房温存療法について説明すべきであったかが争われました。最高裁は、未確立の療法について常に説明義務を負うわけではないとしつつ、その療法が相当数の医療機関で実施され、患者がその適応となる可能性があり、かつ患者が強い関心を有していることを医師が認識していたような場合には、その内容や実施している医療機関の名称等を説明すべきであるとしました。
医師が自ら最善と考える治療法を提案していれば足りるというものではない、ということです。
《説明が形だけになっていないか》
実務上しばしば問題になるのは、同意書に合併症が列挙されているにもかかわらず、口頭での説明がそれと大きく食い違っている場合です。
東京地方裁判所令和7年7月18日判決は、膵炎や死亡の危険を伴うERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)検査について、患者から「どのような検査か」と尋ねられた教授が「胃カメラのようなもの」と説明していた事案を扱っています。
この事案では、入院日に別の医師から、急性膵炎の発症率や重症化した場合の死亡率まで記載された説明書・同意書を示して説明が行われていました。それでも裁判所は、膵胆診療の権威である教授の説明によって生じた誤信が、その説明によって解かれたとまでは認められないとして、説明義務違反を認めています。72歳の患者一人に対して病室で説明したにとどまることも考慮されました。
書面に書いてあるかどうかではなく、患者が判断できるだけの情報が現実に伝わっていたかどうかが問われるということです。なお、この事案では医師本人が検査のリスクを説明したと供述していましたが、診察時の録音記録にそのような説明が見当たらないことから、供述の信用性が否定されています。
《説明義務違反が認められた場合の賠償》
説明義務違反の裁判例の多くは、慰謝料のみを認めています。金額は数十万円から数百万円程度にとどまることが少なくありません。
もっとも、説明を受けていれば患者はその検査や手術を受けなかったといえる場合には、話が変わります。受けなければ死亡や後遺障害も生じなかったのですから、説明義務違反と結果との間に因果関係が認められ、逸失利益を含む損害の全体について賠償が認められることがあります。実際にそうした判断をした裁判例も相当数あります。
したがって、説明義務違反を主張する場合には、説明がなかったという点だけでなく、適切な説明を受けていればその医療行為を受けなかったといえる事情を丁寧に拾い上げていく作業が欠かせません。ご本人が日頃から身体に負担のかかる検査や治療を避ける方針であったことをご家族に話しておられた、といった事情がここで生きてきます。
先ほどの東京地方裁判所令和7年7月18日判決も、患者が日常生活に支障なく過ごせていたこと、画像上はがんを疑う所見がなかったこと、診断が確定しても根本的な治療法が限られていたことから検査の緊急性が高くなかったこと、そして患者が身体に負担のかかる検査や治療を避ける方針を家族と共有し、日頃から家族全体で相談し合う関係にあったことを挙げて、適切な説明がされていれば検査を見送っていた高度の蓋然性があるとしました。そのうえで、慰謝料2500万円を含め、死亡による損害の全体について賠償を認めています。
《医療同意をめぐる制度の不十分さ》
なお、日本には医療同意に関する法律がきちんと整備されていません。本来であれば同意ができるのは本人だけであるはずですが、医療の現場では、本人に判断能力がない場合に家族の同意で医療行為が行われているのが実情です。長く交流のなかった家族であっても同意書に署名すれば足りるという運用には、疑問を持たざるを得ません。成年後見人にも医療同意の権限はないとされています。
自己決定権の重要性が説かれる一方で、その土台となる制度の議論が置き去りにされている。私が実務を通じて長く感じている問題です。
《最後に》
説明義務違反は、医学の専門的な当否とは異なり、裁判所にとっても判断しやすい問題です。他方で、医療機関側からは強い反発を受けやすい領域でもあります。しかし、どのような医療を受けるかを決めるのは、あくまで患者自身です。
説明を受けていれば違う選択をしていたのではないか。そのようにお感じの場合には、まず診療記録や同意書を入手したうえで、医療の専門家とのネットワークを持つ弁護士にご相談ください。
