判例集

医療事故

判例情報・出典
東京地判令和2年1月30日 認容額1億2379万4296円 産科危機的出血による母体死亡

齋藤 健太郎
弁護士
齋藤 健太郎

患者(被害者)の属性

性別: 女性 年齢: 35歳(死亡時) 職業: 眼科医 病歴: 軽度の妊娠高血圧症候群

判例要旨

被告クリニックで帝王切開により出産した原告Bの母親である亡Dが、術後の異常出血により死亡した事案。

原告A(夫)と原告B(娘)は、担当医師であった被告Eの対応に過失があったとして、クリニックと医師に対して損害賠償を求めた。裁判所は、遅くとも平成27年1⽉9⽇午後11時40分頃までに亡Dが産科危機的出⾎に陥ったものと判断すべきであり、同⼈を⾼次医療施設へ転送すべき注意義務があったにもかかわらず、 翌⽇午前零時30分頃に⾄って亡Dを救急搬送することを決定した医師に注意義務違反があり、適切な対応が行われていれば死亡を防げた可能性があるとし、原告らの一部請求を認容した。

争点

⑴ 亡Dの産科危機的出⾎に適切に対応すべき注意義務違反の有無
⑵ 死因ないし因果関係:亡Dの死因が重症の羊水塞栓症であり、亡Dの救命は困難であったか否か。

重要な判示(過失)

 ⑴  亡Dの産科危機的出血該当性について

被告は、産科危機的出血に陥っていたことを否定したが、それに対して判決は、
ショックインデックスについて「1月9日午後11時10分頃の亡DのSIは1.0を超えていたといえ,亡Dは,少なくとも同時刻において,分娩時異常出血の状態であったと認められる。」と判示したうえ、 出血の持続についても「本件帝王切開術後から1月9日午後11時頃までは出血が持続していたものと認められる。そして,同キ認定のとおり,被告E医師は,同日午後11時10分頃,亡Dを内診して,子宮内及び膣内のコアグラを除去したものであるが,同日午後11時45分頃には,子宮底圧迫により約120㎖の出血がみられており,なお出血は持続していたと認められる。」と判断した。

また、尿量については、「亡Dの本件帝王切開術後の尿量は,1月9日午後8時50分頃に累計で約300㎖となった後は,a病院への搬送のため同月10日午前1時10分過ぎ頃にリカバリー室を出る頃まで,増加が認められなかったものである。この間,亡Dに対しては,継続的に輸液(ラクテック等の点滴静注)がされていたにもかかわらず,同月9日午後8時50分頃以降,尿量の増加が全く認められていないことからすると,同日午後11時頃の時点では無尿又は少なくとも乏尿の状態であったと認められる。」とした。

そのうえで、「亡Dについては,遅くとも,1月9日午後11時10分頃にコアグラを除去してから,止血の有無を確認するための経過観察時間を考慮した約30分後の同日午後11時40分頃の時点では,本件帝王切開術後から出血が持続した状態であり,かつ,少なくとも乏尿の状態であって,本件各ガイドラインでいう産科危機的出血の状態であったと認められ,被告E医師は,これを認識し得たものと認められる。」と判示した。

 ⑵  被告E医師の注意義務違反の有無について
 上記の判示を踏まえて、判決は、
「被告E医師においては,遅くとも1月9日午後11時40分頃までに,亡Dが産科危機的出血に陥ったものと判断すべきであったと認められる。そして,被告クリニックでは輸血及び開腹止血措置等の外科的処置を実施することはできなかった(被告E医師本人)のであるから,亡Dを高次医療施設へ転送すべき注意義務があったものと認められる。それにもかかわらず,上記1⑵コ認定のとおり,被告E医師は,翌10日午前零時30分頃に至って亡Dを救急搬送することを決定したのであるから,上記注意義務の違反があったものと認められる。」
とし、被告E医師の注意義務違反を肯定した。

重要な判示(因果関係・損害)

被告らは,亡Dの死因が重症の羊水塞栓症であったことを前提に,亡Dの救命は困難であった旨主張したが、それに対して判決は、羊水塞栓症を発症していたことについては肯定したうえで、その類型について以下のとおり判示した。

羊水塞栓症には,呼吸困難,ショック症状等の心肺虚脱を主体とする心肺虚脱型,DICや弛緩出血を主体とするDIC先行型及びこれらの混合型があるとされる(前記第2の1⑶ウ(イ))。
 被告らは,亡Dについては,DIC先行型の羊水塞栓症である旨主張するが,H意見は,心肺虚脱型であるとする。しかし,H意見は,1月9日午後11時10分頃の時点で亡Dが止血ないし止血傾向にあったことを前提としているが,この前提に誤りがあるのは,上記3⑴で説示したとおりである。また,H意見は,翌10日午前1時過ぎ頃の亡Dの急変(上記1⑵シ。H意見書では午前零時45分頃以降とされている。)まで末梢循環不全は認められないことも前提としているが,同日午前零時30分頃(H意見書では午前零時15分頃)の時点で亡Dの顔面が蒼白であったこと(上記1⑵コ)は,被告E医師も自認するところであり(乙A9),亡DのSpO2も,既に同月9日午後10時50分頃の時点で96%(同カ),本件医師記録には,信用性はともかく,搬送決定5分後の記載部分に「95%」と記載されていることなどから,上記前提にも問題があるといえる。
 そうすると,亡Dの羊水塞栓症については,H意見によって心肺虚脱型と認めることはできないというべきであり,被告らが当初から主張しているように,1月10日午前零時30分頃の血液凝固が余りない出血を発症時期とするDIC先行型(子宮型)の羊水塞栓症であったと推認される。

そのうえで判決は、亡Dの救命可能性たが、まずその前提として、羊水塞栓症の予後と、高次医療施設への到着時間について論じる。
(羊水塞栓症の予後)
「羊水塞栓症の予後については,前記第2の1⑶ウ(オ)認定のとおり,母体死亡率につき,平成14年時点で「86%」とするものがあるが,平成24年ないし平成25年の文献では,最近は20~40%とするものが多いとされている。また,これらの死亡率は,重篤な症例やショック状態となった後に治療が開始された症例も含まれていると考えられる。」
(高次医療施設の到着時間)
「亡Dについては,被告E医師が上記3認定の注意義務を尽くしていれば,1月9日午後11時40分頃に救急搬送に着手したこととなる。上記1⑵サからセまで認定の事実によれば,被告E医師は,同月10日午前零時30分頃に搬送決定をし,亡Dがa病院に到着したのは同日午前1時27分頃と,搬送決定からa病院到着まで約1時間を要しているが,当時,被告E医師には,緊急性についての認識が希薄であったものとうかがわれ,本来であれば,この間の時間は更に短縮し得る可能性が高いと推認される。
  もっとも,限られた人員により,搬送の手配,診療情報提供書の作成,亡Dの家族への連絡といった種々の作業をこなす必要があることを考慮すれば,上記時間を大幅に短縮することは困難であったといえ,このような事情も考慮すれば,搬送決定からa病院到着までに必要な時間としては,最大で50分程度と認めるのが相当である。
  そうすると,被告E医師が上記注意義務を尽くしていれば,亡Dは,遅くとも1月10日午前零時30分頃にはa病院に到着していたものと認められる。


判決は、上記の事情を前提として、以下のとおり亡Dは、救命可能であったと判断した。

「1月10日午前零時30分頃は,亡Dに血液凝固が余りない出血が認められた頃で,DIC先行型(子宮型)の羊水塞栓症が発症したとみられる頃であった。
 もとより,この段階で羊水塞栓症と鑑別し得たものとはいえないが,いずれにしろ,ショックとなる前ないし軽度のショックであった段階であり,治療としては主として抗DIC療法を開始することになったものと認められる。そして,「(羊水塞栓症に対する適切なDIC療法を)早期に行えば,多くのDIC症例で改善が得られる。」(甲B54・12頁),「子宮型羊水塞栓症はDICの早期対応によって救命率は上がると考えられる」(乙B8・810頁)などとする文献があることをも考慮すれば,上記時刻頃に抗DIC療法を開始していた場合の亡Dの死亡率は,羊水塞栓症における一般的な母体死亡率より相当程度低くなるものと認めることができる。
「以上の事情を総合すれば,遅くとも1月10日午前零時30分頃に亡Dがa病院に到着していれば,その時点から抗DIC療法を含む治療が開始されることにより,亡Dは救命し得たものと認めるのが相当である。」

弁護士からのコメント

本件は、産科危機的出血に対する高次医療施設への転送の遅れが問題となった事案です。

出産時の出血は、ときに危機的な状態に陥り、母体死亡のリスクがあります。

医師らは、産科DICスコアやショックインデックスという数値を適切に判断し、バイタルサインや乏尿の状況を踏まえたうえで、産科危機的出血と判断した場合には、早期に転送すべき義務を負います。

また、本件では、羊水塞栓症であると診断されたにもかかわらず、死亡との因果関係が認められています。羊水塞栓症は、危険な病態とされており、因果関係が否定された裁判例も存在しています。しかし、その類型によっては救命が十分可能であることが示されたという意味で、本裁判例は重要な意義を有するものといえます。

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