患者(被害者)の属性
手術当時60歳の男性(昭和31年生まれ)。 アルコール依存症の治療歴があり、アルコール性代償性肝硬変(新犬山分類A2・F4)を有していた。 自営業(ラーメン店)であったが休業状態であった。 低栄養、腹水貯留等の精査・治療のため被告病院に入院中、食道癌(Stage I)が発見された。判例要旨
被告法人が経営する岡山市立市民病院において、食道癌(Stage I)と診断された患者が、消化器外科医である被告医師から胸腔鏡下食道亜全摘術等(本件手術1、手術時間約10時間22分)を受けた後、術後2日目に出血性ショックに陥り、緊急再手術として胃管出血に対する止血術、胃管抜去及び食道再建術(本件手術2、手術時間約9時間15分)を受けたが、その後多臓器不全により死亡した事案である。
患者の相続人である原告ら(妻及び子4名)が、被告法人に対しては民法715条(使用者責任)に基づき、被告医師に対しては民法709条(不法行為)に基づき、連帯して損害賠償を求めた。
裁判所は、①術前にICG負荷試験を実施して肝予備能を評価した上で、その結果を踏まえたリスク説明をすべき検査・説明義務に違反した点、②緊急再手術において、患者の全身状態が重篤であり救命を最優先すべき状況にあったにもかかわらず、一期的再建術を選択した術式選択義務に違反した点をいずれも認定し、各義務違反と患者の死亡との間の相当因果関係を肯定した。素因減額(肝硬変)の主張は排斥し、原告らの請求を一部認容した(認容額合計約3032万円)。
争点
(1)被告医師は本件手術1に先立つ検査・説明義務に違反したか(ICG負荷試験の不実施及びリスクの過少説明)
(2)本件手術1に先立つ検査・説明義務違反と患者の死亡との間に相当因果関係があるか
(3)被告医師は本件手術2に係る術式選択義務に違反したか(一期的再建術の選択の当否)
(4)本件手術2に係る術式選択義務違反と患者の死亡との間に相当因果関係があるか
(5)原告らの損害(素因減額の可否を含む)
重要な判示(過失)
<争点1:検査・説明義務違反>
裁判所は、食道癌診断・治療ガイドライン第3版(GL3)の記載について、肝硬変症例に対するICG負荷試験の実施に関する部分は「基本的な知識」に相当するものであり、当時の医療水準を推認させる有力な資料の一つであると認定した。被告らは、GL3の記載には推奨度の記載がなく、第4版(GL4)ではその記載がなくなっていると反論したが、裁判所は、基本的な知識に相当するからこそ推奨度の記載がなく、GL4にも記載されなかったと判断した。
患者の状態について、裁判所は、CT検査での肝硬変の指摘、腹水の存在、Child-pugh分類B(7点)、ChE・Albが基準値を大幅に下回っていたこと、ヘパアクト配合顆粒等の投与が継続されていたこと等から、少なくともアルコール性代償性肝硬変の疑いが強く、肝機能が低下していることを示す具体的な所見が認められていたと認定した。
その上で、ICG負荷試験を実施した場合には20%を超える相当に高い数値が出る蓋然性があり、その場合、術後合併症が生じるリスクやこれにより死亡するリスクは相当に高くなり得ることを被告医師は具体的に予見し得たとして、ICG負荷試験を実施した上でその結果を踏まえたリスク評価・説明をすべき注意義務があったと判断した。しかるに被告医師は、ICG負荷試験を実施せず、縫合不全リスク10%程度、死亡リスク2〜3%程度という過少な説明にとどめたものであり、検査・説明義務に違反したと認定した。
<争点3:術式選択義務違反>
裁判所は、二期的分割手術の適応について明確な基準は確立していないものの、全身状態が悪く、耐術能が十分でないと判断される患者に対しては、一期的再建術ではなく二期的分割手術を実施すべき場合があるとした。
本件手術2の時点で、患者は、①10時間以上に及ぶ本件手術1から約35時間しか経過していなかったこと、②肝硬変であると確認されていたこと、③重症の出血性ショックに陥り、複数の昇圧剤(ノルアドレナリンとネオシネジン)を継続的に大量投与しなければ循環動態等を保つことが困難な状態にあったこと等から、全身状態は悪く、耐術能が十分でない患者であり、救命を最優先とすべき具体的状況にあったと認定した。
被告らは出血については迅速にコントロールがつき術中の血圧も安定していたと反論したが、裁判所は、複数の昇圧剤が継続的に大量投与されていたのであり、そうでなければ循環動態等を保つことが困難な重篤な状態にあったというべきであるとして、被告医師の評価は合理性を欠くと判断した。その上で、胃管抜去後に食道瘻を造設して再建術を実施せずに閉腹することも可能であったにもかかわらず、9時間15分にわたる一期的再建術を実施したことは、術者としての合理的な裁量を逸脱し、術式選択義務に違反したと認定した。
重要な判示(因果関係・損害)
<争点2:検査・説明義務違反と死亡との因果関係>
裁判所は、ICG負荷試験を実施した場合に20%を超える相当に高い数値が出る蓋然性があったことを前提として、被告医師は、術後合併症発生率が80%以上であり、術後合併症死亡率が15〜30%かそれ以上であることなどを説明することになったと認定した。他方、Stage I食道癌に対しては根治的化学放射線療法が有効な選択肢であり、食道切除術に劣らない治療成績が報告されていることにも言及した上で、仮にこれらの説明を受けていれば、患者は手術をせずに化学放射線療法ないし放射線単独療法を選択していた高度の蓋然性があり、死亡した時点でなお生存していた高度の蓋然性があるとして、相当因果関係を肯定した。
<争点4:術式選択義務違反と死亡との因果関係>
裁判所は、仮に被告医師が胃管抜去後に食道瘻を造設して再建術を実施せずに閉腹していれば、正午ころには手術を終えることができ、9時間以上にわたる大量の昇圧剤の継続使用や結腸・空腸再建術に伴う高い侵襲を回避でき、循環不全・呼吸不全を引き起こすことなく患者の状態が安定していた高度の蓋然性があり、死亡した時点でなお生存していた高度の蓋然性があるとして、相当因果関係を肯定した。
<損害>
裁判所は、治療費・入院雑費については、義務違反がなくても入院継続が必要であったとして損害として認めなかった。入院付添費は6日間分として7万8000円を認容した。
患者本人の慰謝料(自己決定権侵害に対する慰謝料を含む)は2200万円と認定された。
逸失利益については、アルコール依存症により休業状態であり家事労働の分担の蓋然性が認められないとして否定された。
葬儀費用150万円は全額認容された。
遺族固有の慰謝料は、妻200万円、子各50万円とされた。弁護士費用は妻255万円、子各5万円とされた。
<素因減額>
被告らはアルコール性代償性肝硬変を理由に少なくとも8割の素因減額を主張したが、裁判所は、被告らにおいては医療機関ないし医師として患者の肝硬変を的確に把握した上で治療に臨むべき立場にあったことを踏まえると、損害の公平な分担の観点から素因減額は相当でないとして、これを適用しなかった。
弁護士からのコメント
本判決は、食道癌手術に際して、肝硬変が疑われる患者にICG負荷試験を実施すべき義務を明確に認め、さらに、緊急再手術における一期的再建術の選択が術者の合理的な裁量を逸脱したと判断した事例です。
まず、検査・説明義務違反の点について、GL3のICG負荷試験に関する記載が推奨度なしの「基本的な知識」に相当するとした認定は注目されます。被告側はGL4でこの記載がなくなったことを反論材料としましたが、裁判所はMinds(EBM医療情報事業)の提言を引用し、基本的知識にはそもそも推奨度を付すことが適切でないと説明しました。ガイドラインの推奨度の記載の有無のみで医療水準の判断をすることは相当でないという趣旨を示した点で、他の事案にも応用可能な判示といえます。
術式選択義務違反の点については、食道癌手術における二期的分割手術の適応基準が確立していないことを認めつつも、患者の具体的な全身状態(出血性ショック後のASA分類4、複数の昇圧剤の大量投与等)に照らして、救命を最優先とすべき状況であったと認定しました。被告側の協力医がQOLの観点から一期的再建を擁護する意見を述べましたが、裁判所はそもそも「救命できなければ意味がない」という立場から、これを退けています。
素因減額については、肝硬変という重大な素因が存在し、8割もの減額が主張されましたが、裁判所は、医療機関は患者の既往症を把握した上で治療に臨むべき立場にあるとして素因減額を否定しました。医療過誤事案においては、医療機関が患者の素因を認識した上で適切な対応を怠った場合に素因減額を適用しないという考え方が示されたものであり、同種事案の参考になるものと思われます。