患者(被害者)の属性
80歳 要介護4 大脳皮質基底核変性症(CBD) 介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)入居者判例要旨
社会福祉法人である被告の運営する介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)に入所中の原告が,誤嚥事故により低酸素性脳症に罹患したことについて、食事介助を担当した被告の職員の過失により誤嚥事故が惹起されたもので被告には介護契約上の義務違反があるとして、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、3226万7808円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた事案。
1960万3844円の支払が認容された。
争点
(1) 原告の誤嚥の原因となる被告の本件入所契約上の義務違反の有無
(2) 被告の本件入所契約上の義務違反と原告の後遺障害との相当因果関係の有無
(3) 原告の損害
重要な判示(過失)
「4 争点⑴(原告の誤嚥の原因となる被告の本件入所契約上の義務違反の有無)について
(1) 被告の本件入所契約上の義務違反の有無及び内容について
食事中にしゃっくりが出始めた場合には,咽頭に食物が残っているタイミングでしゃっくりが生じると嚥下のタイミングがずれ,食物を誤嚥する危険が大きいから,直ちに食事介助を中断し,しゃっくりが収まるまで水分を含む一切の食物の提供を停止する必要があると考えられる。また,原告は嚥下障害を生じうる大脳皮質基底核変性症と診断され,益城病院医師が特に誤嚥の危険を指摘していたのであるから,原告の食事介助を行うにあたっては,一口ごとに嚥下を確認し,少なくとも食事介助の終了時には口腔に食物が残っていないことを確認する必要があり,とりわけ食事介助の終了時にしゃっくりが継続している場合には,口腔に食物が残っていないことを確認する必要が非常に高いと考えられる。
Cは,原告の食事介助中に出始めたしゃっくりが収まっていないにもかかわらず,すまし汁等の流動性の高い食物を与える食事介助を継続し,その継続中にしゃっくりが強くなったにもかかわらず,食事介助の終了時に原告の口腔に食物が残っていないことを確認せずに離席したもので,Cの食事介助の態様は誤嚥を引き起こす危険の大きい不適切なものである。被告は,本件入所契約に基づき,原告の身体の安全に配慮して適切な態様で食事介助のサービスを提供する義務を負っていたところ,被告の履行補助者であるCは上記義務を履行しなかったものといわざるを得ず,被告には,以上の点において,本件入所契約上の義務違反が認められる。(中略)
(3) 被告の本件入所契約上の義務違反と原告の誤嚥発生の因果関係について
以上のとおり,原告の誤嚥が①食事介助の継続中に発生したものである場合には,Cが,原告のしゃっくりが収まっていないにもかかわらず,すまし汁を飲ませるなどの食事介助を継続するという誤嚥を引き起こす危険の大きな態様の食事介助を行ったことによって,原告がしゃっくりによってすまし汁等の流動性の高い食物を誤嚥したものと認められる。
原告の誤嚥が②食事介助の終了後に発生したものである場合には,Cが,食事介助の終了時に原告の口腔に食物が残っていないことを確認せずに離席するという誤嚥を引き起こす危険の大きな態様の食事介助を行ったことによって,原告が口腔に残っていた食物を誤嚥したものと認められる。
したがって,原告の誤嚥が食事介助の継続中と終了後のいずれに発生したものであるにせよ,Cが誤嚥を引き起こす危険の大きい不適切な態様の食事介助を行ったことによって原告の誤嚥が発生したもので,被告の本件入所契約上の義務違反と原告の誤嚥発生との相当因果関係が認められるから,被告は,原告の誤嚥による損害について損害賠償責任を負う。」
(4)ア 被告は,嚥下機能が低下している高齢者の誤嚥自体を防ぐことは困難であるとして,誤嚥から窒息に至るのは極めて稀であり,本件施設の職員が負うべき注意義務も,誤嚥の有無に着目するのではなく,窒息の有無すなわち原告の呼吸状態等に焦点を当てて検討を進めるのが相当である旨主張する。しかしながら,被告が依拠する福岡高裁平成27年5月29日判決は,誤嚥が起きるに先立つ時点で職員に注意義務違反があったとはいえない旨の第一審判決の判示を是認した上で,誤嚥が生じた時点で誤嚥を解消すべき注意義務があった旨の主張を排斥したに過ぎず,誤嚥を生じさせないように適切な態様で食事介助を行うべき注意義務の存在を否定するものではない。
Cは原告の食事の自力摂取を見守るにとどまらず食事介助を行っていたものであるから,原告の誤嚥の原因となるCの食事介助の態様の不適切の有無を検討し,これが認められる場合には被告は誤嚥によって生じた原告の損害について賠償すべき責任を負うことは当然である。
イ 被告は,介護現場の実情を踏まえて,被告の義務違反の有無を判断すべきである旨主張する。しかしながら,介護業務従事者も人の生命及び身体の安全に関わる業務に従事する以上,その時点の介護サービス提供の実践における技術水準に照らして必要な注意義務を要求されると解すべきところ,食事介助中にしゃっくりが出始めた場合にしゃっくりが収まるまで食事介助を中断すべきことや,嚥下障害を生じうる要介助者の食事介助の終了時に口腔に食物が残っていないことを確認すべきことは,本件事故発生当時の介護サービス提供の実践における技術水準に照らして高度な要求ではない(したがって,原告の誤嚥に係る被告の損害賠償責任は本件入所契約11条1項ただし書きに該当するものでもない。)。
仮に介護事業者が介護に関する知識及び経験の不足している未熟な職員を雇用せざるを得ない社会的事実があるとしても,このような社会的事実によって介護事業者が介護契約上負担する義務の内容が軽減されるとは解されない。」
重要な判示(因果関係・損害)
「5 争点(2)(被告の本件入所契約上の義務違反と原告の後遺障害との相当因果関係の有無)について
原告の誤嚥と原告の窒息,心肺停止,低酸素性脳症発症との間に相当因果関係があることは明らかであるから,被告の本件入所契約上の義務違反と原告の誤嚥の発生との間に相当因果関係が認められる以上,被告の本件入所契約上の義務違反と原告の低酸素性脳症発症との相当因果関係が認められ,被告は原告の低酸素性脳症発症による損害について損害賠償責任を負う。
本件事故は,もっぱら,Cが原告に対する食事介助を不適切な態様で行ったことによって惹起されたもので,原告の窒息様の症状に気付いた後の本件施設職員の対処に不適切な点が認められないからといって,上記相当因果関係が否定されるものではない。」
「6 争点(3)(原告の損害)について
(1) 入院費用及び入院雑費について
証拠(甲C3の1ないし12,原告法定代理人A)及び弁論の全趣旨によれば,原告は本件事故により平成26年12月2日以降桜十字病院に入院し,入院費用等を負担していることが認められるところ,検査,処置,投薬に係る医療費の計上は平成27年2月分まで,食事療養費の計上は平成27年4月分までであることに鑑みると,原告の症状は平成27年4月30日に固定したものと認めるのが相当である。
桜十字病院の請求書兼領収書(甲C3の1ないし12)に計上された諸費用のうち,医療費,生活環境療養費(食事療養費,居住費),個室料・設備使用料を入院費用として実費により算定し,オムツ代等のその余の費用は日額1500円によって算定する入院雑費に含めるのが相当である。
以上を前提として検討すると,原告の入院費用及び入院雑費は次のとおり認められる。
ア 平成26年12月2日から平成27年4月30日まで150日間
(ア) 入院費用 計16万3756円(甲C3の1ないし5)
(イ) 入院雑費 計22万5000円(1,500×150=225,000)
イ 平成27年5月1日以降の将来分
(ア) 入院費用年額 32万1118円
原告が平成27年5月1日から平成27年11月30日までの214日間に負担した入院費用18万8272円(甲C3の6ないし12)を按分計算する。(188,272÷214×365≒321,118)
(イ) 入院雑費年額 54万7500円(1,500×365=547,500)
(ウ) 平均余命 11年(ライプニッツ係数8.3064)
平成27年4月30日時点の原告の年齢(81歳)の平成27年生命表の女性の平均余命による。
(エ) 入院費用 計266万7334円(321,118×8.3064=2,667,334)
(オ) 入院雑費 計454万7754円(547,500×8.3064=4,547,754)
(2) 慰謝料額について
証拠(甲A1,乙A1,5,証人E,原告法定代理人A)によれば,本件事故発生前の原告は,失行や短期記憶上の障害等の認知機能の低下があり,右手関節の拘縮等により食事介助を要することが多くなっていたほか日常生活全般について一部介助を要し,日常の意思決定や意思伝達が困難な場面もあったものの,見守りがあれば杖を使用せずに歩行することができ,本件施設入所後も,本件施設の運動会や踊り鑑賞等の行事に参加して楽しそうな表情を見せ,本件施設職員に自宅での外泊の話をするなど,日常生活を楽しんでいたところ,本件事故により寝たきりの状態になり,声かけに対して顔を向けて頷いたりすることがある程度で,その行動能力のほとんどを失うに至ったものである。その精神的苦痛は甚大であり,被告の本件入所契約上の義務違反の程度が著しいものとはいえないことを考慮しても,慰謝料額として1200万円を認めるのが相当である。
(3) 以上によれば,原告の本件事故による損害額は1960万3844円である(上記(1)ア(ア),(イ),イ(エ),(オ),(2)の合計額)。」
弁護士からのコメント
本件は,介護職員が,原告の食事介助中に出始めたしゃっくりが収まっていないにもかかわらず,すまし汁などを与える食事介助を継続し,その継続中にしゃっくりが強くなったにもかかわらず,食事介助の終了時に原告の口腔に食物が残っていないことを確認せずに離席してしまうという誤嚥を引き起こす危険性の高い行為を行ったことが問題となったケースです。
被告からは,本件の誤嚥の機序として,しゃっくりにより逆流した食べ物を誤嚥した可能性や,しゃっくりや食事介助の方法にかかわらず単に逆流性の誤嚥を生じさせた可能性が主張されました。
しかし,判決においては,「しゃっくりは横隔膜が痙攣することで起こる異常呼吸という呼吸器の現象であり,これが食道から咽頭への食物の逆流という消化器の現象を招く機序は明らかでない。」,「一般に逆流性の誤嚥とは,就寝中等の横臥した状態で食物や胃液が重力の作用により咽頭に逆流し,これを誤嚥することをいうと解される(乙B1の15頁,100頁)ところ,原告は終始車いすに座った状態だったのであるから,食物が咽頭にまで逆流するとは考え難く,原告が逆流性の誤嚥を起こした可能性は低い。」として,いずれの主張も認められませんでした。