コラム

愛知医科大病院・人工呼吸器チューブ逸脱事故―『3分以内の再挿管で後遺障害は回避』とした名古屋地裁判決

【事案の概要】

 名古屋地裁は2026年6月5日、愛知医科大学病院(愛知県長久手市)で2018年に発生した医療事故について、愛知医科大学に約1億1800万円の損害賠償を命じる判決を下しました。
 報道によると、男児(現在8歳)は2018年7月、生後7か月の時に呼吸の悪化で同病院に救急搬送され、ウイルス性肺炎による呼吸不全で入院しました。気管挿管により呼吸が管理されていましたが、看護師3人で男児の体位変換を行った際に気管チューブが外れ、看護師は呼吸モニター上の波形消失を認識したものの、直ちに医師に連絡しなかったと認定されています。波形が戻るまでに20分以上を要し、男児は低酸素脳症となりました。男児は現在も意識がなく、同病院に入院中です。

 判決は、看護師らに直ちに医師に連絡し再挿管を求める義務があったと認定し、「注意義務違反と男児に生じた低酸素脳症との間に相当因果関係が認められる」と判断しています。報道(読売新聞)では、判決が「事故の約3分後に再挿入されていれば後遺障害が生じなかった可能性が高い」と認定したと伝えられています。

【過失の構造―モニター波形消失への対応】

 本件の過失構造を整理すると、次のように理解できます。
 第一段階は、体位変換時の気管チューブ抜去。乳幼児は解剖学的に気管が短くチューブが抜けやすいうえ、体位変換はチューブ抜去のリスクが高い場面の代表例です。看護師3人が関わっていたとされていますが、複数人がいたにもかかわらず抜去を防げなかったことになります。
 第二段階、そして本判決の核心は、抜管後の対応の遅れです。気管チューブが抜ければ患者は気道を失い、酸素飽和度や呼吸波形といったモニター上の指標は直ちに異常を示します。看護師はこのモニター波形の消失を認識していた。それにもかかわらず、医師への連絡が直ちになされなかった。この「気づいていたのに動かなかった」という事実が、判決における過失認定の中核です。
 医療現場では、モニターを「見ている」ことと「異常を読み取り対応する」ことは別の作業です。本件は、モニター情報の認識と医師連絡という、看護師に当然期待される基本動作が果たされなかった事例として位置づけられます。

【「3分」と「20分以上」の差】

 判決の認定で特に注目すべきは、「3分以内の再挿管」と「実際に要した20分以上」という時間軸の対比です。
 乳幼児はもともと予備酸素量が少なく、低酸素状態への耐性が乏しいこともあり、気道が確保されない時間が数分続けば不可逆的な脳障害に至ることは医学的に知られています。本判決は、抜管後3分以内に再挿管がなされていれば後遺障害は回避できた可能性が高い、と具体的な時間軸で因果関係を認定しました。
 医療訴訟における仮定的因果関係(適切に対応していれば結果は変わったか)の立証は、患者側にとって最大の難関です。本件で名古屋地裁が3分という具体的時間を示しながら相当因果関係を肯定したことは、医療訴訟の因果関係論として注目すべき判断といえます。

【賠償額約1億1800万円の意味】

 請求額約1億7千万円に対して認容額約1億1800万円が認められています。
 乳幼児が重度の後遺障害を負った場合の損害賠償は、将来の介護費用と逸失利益が主要な構成要素となります。生涯にわたる介護費用は数千万円から1億円に及び、就労可能年数を踏まえた逸失利益も大きな割合を占めます。これに本人慰謝料・近親者慰謝料・弁護士費用相当額を加えると、認容額は1億円を超えるのが通常であり、介護内容によっては2億を超える場合も稀ではありません。
 約1億1800万円は、乳児の低酸素脳症事案として決して低いわけではありません。しかし、男児が現在8歳でなお意識がないという状況を踏まえれば、平均余命までの介護費用を全額賄うには十分とはいえず、必要な賠償額としては最低限の水準にとどまるとも感じます。

【事故から8年、提訴から3年】

 2018年7月の事故から、2026年6月の判決まで、約8年がかかり、提訴からは約3年が経過しています。新生児・乳児の脳障害事案は、後遺障害の固定までに時間を要するだけでなく、ご家族も被害の状態を認識するのに時間がかかることもあり、提訴の時期から判決までの期間が長くなりがちです。
 判決後にご両親が述べた「息子の尊厳と命を守るためにやってきたことが報われた。一番頑張ったのは息子。生きて判決を見届けた息子を誇りに思う」という言葉に、この8年の重さが凝縮されています。8歳の誕生日を意識のないまま迎えた男児と、その傍らで闘い続けてきたご両親の精神的苦痛はいかほどであったのかと考えてしまいます。

【おわりに】

 体位変換という日常的な看護業務によって、生後7か月の乳児の人生が大きく変わってしまいました。本判決は、ICU・小児集中治療室における気管チューブ管理という、医療の基本的な領域に重い教訓を残しました。「モニター波形消失の認識→医師への即時連絡→3分以内の再挿管」という連鎖が分単位で結果を左右します。この当然の連鎖を確実に機能させる体制づくりが、すべての医療機関に求められています。

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