判例集

介護事故

判例情報・出典
福井地裁令和7年7月9日判決 認容額約2800万円ー特養入所者の食器用洗剤誤飲による誤嚥性肺炎死亡事故

神村 岡
弁護士
神村 岡

患者(被害者)の属性

死亡時85歳の男性(昭和12年生まれ)。 高度アルツハイマー型認知症(HDS-R 15点)で、日常生活自立度IIIa(日常生活に支障を来す症状・行動が日中を中心に見られ介護を必要とする)と判定されていた。 被告が運営する特別養護老人ホームに入所中で、普段から口渇が強く水分を多く取り、自分で洗面所に行き水を飲むことがあった。 睡眠時無呼吸症のためCPAP療法を行っていた。舌癌の既往あり。

判例要旨

被告が運営する特別養護老人ホームにおいて、認知症の入所者(85歳男性)が、居室洗面台に保管されていた食器用洗剤を誤飲し、嘔吐に伴う誤嚥性肺炎により3日後に死亡した事案である。食器用洗剤は、施設職員が入所者のCPAP装置の部品を洗浄するために使用するもので、以前はロングショートステイ利用時に洗面台上の天袋で保管されていたが、特養入所後は洗面台上に保管場所が変更されていた。

入所者の相続人である原告ら(配偶者及び子2名)が、被告に対し、安全配慮義務違反を理由とする不法行為に基づく損害賠償を請求した。

裁判所は、入所者に異食行動の具体的兆候がなかったとしても、認知症の程度(特に記憶障害・見当識障害)、口渇により自ら洗面所に行って水を飲む行動傾向、認知症の進行性等を踏まえれば、洗面台に洗剤を置いておけば誤飲する具体的可能性を十分に認識できたとして予見可能性を認め、天袋等の手の届かない場所に保管する義務に違反したとした。洗剤の誤飲と死亡との因果関係も肯定し、過失相殺・素因減額はいずれも否定した。認容額は合計約2800万円。

争点

(1)過失の有無(食器用洗剤を入所者の手の届く場所に保管していたことが安全配慮義務違反に当たるか)

(2)注意義務違反と死亡との因果関係の有無(洗剤誤飲→嘔吐→肺炎→死亡の機序の特定の要否を含む)

(3)過失相殺及び素因減額の可否(認知症による誤飲を入所者の過失と評価できるか、高齢・認知症・舌癌の既往を素因として減額できるか)

(4)損害

重要な判示(過失)

<予見可能性>
裁判所は、入所者の認知症について、本件事故当時は記憶障害・見当識障害が顕著に進行しており(自分の娘がいることを忘れる、食事の摂取を忘れる、自分がいる場所もわからない等)、被告もこれを把握していたと認定した。認知症の中核症状として失認の症状が現れると食べ物か否かを的確に認識できなくなり、異食の可能性が生じるとされていることに加え、入所者が普段から口渇が強く、自分で洗面所に行って水を飲む行動が複数回見られ、被告もこれを認識していたことを指摘した。

その上で、これまで具体的な異食行動の兆候がなかったとしても、認知症の程度と行動傾向の認識があれば、洗面所に飲料等と誤り得る形状の洗剤を置いておくことで誤飲する具体的可能性を認識できたとして、予見可能性を肯定した。

<注意義務違反>
裁判所は、洗剤の誤飲により嘔吐し健康被害が生じる危険性があることから、誤飲を防ぐ必要性は高いとする一方、本件洗剤は入所者本人が使用するものではなく職員がCPAP装置の洗浄に使用するものであるから居室洗面台に保管する必要性は乏しいこと、以前のロングショートステイでは洗面台上の天袋で保管していたことからすると保管場所の変更は格別の負担ではないことを指摘し、異食の具体的兆候がなくても天袋等の手の届かない場所に保管する義務があったと認定した。

被告の「体温計や歯磨き粉も入所者の周囲に置くのが通常であり、洗剤も同様」との反論に対しては、本件洗剤は液体であり誤飲の危険性が相対的に高いこと、歯磨き粉等は本人の自律的行動のために周囲に置く必要があるが、本人が使用しない物品についてまで同様の必要性はないとして退けた。また、「細かな注意義務を問われるとアセスメントが膨大になる」との反論についても、求められるのは洗剤を手の届かない場所で保管することだけであり、高度の負担ではないとした。

重要な判示(因果関係・損害)

<因果関係>
裁判所は、洗剤の誤飲→嘔吐→吐物や胃液の肺への吸引→肺炎→死亡という経過は通常生じ得るものであるとして因果関係を肯定した。被告は、死亡の原因となった肺炎が狭義の誤嚥性肺炎(細菌性)か化学性肺炎かの機序の特定が不十分であると主張したが、裁判所は、いずれであっても洗剤を誤飲し嘔吐したことによって通常生じる経過であるから、肺炎の種類を特定できなくても因果関係の認定は左右されないとした。また、被告が主張した搬送先病院での治療の不適切さによる因果関係の断絶についても、肺炎が軽症であったとか治療が不適切であったとは認められず、狭義の誤嚥性肺炎と化学性肺炎の鑑別は医師にとっても容易でないことから、因果関係を断絶させるほどの不適切な治療とは評価できないとして退けた。

<過失相殺・素因減額(いずれも否定)>
裁判所は、被告が入所者の年齢・認知症を前提に受け入れ、認知症の進行や舌癌の診断も把握していたことから、これらの情報を前提に介護サービスを提供する必要があるとし、入所者が自ら洗剤を誤飲した点を入所者の過失として考慮することは相当でないとした。高齢であること、認知症であること、舌癌の既往があることを理由とする素因減額も、損害の公平な分担の観点から必要とは認められないとして否定した。

<損害>
死亡慰謝料は1800万円とされた。逸失利益は年金収入(年約213万円)を基礎に算定されたが、生活費控除率は70%とされた。被告は施設利用料分の損益相殺を主張したが、裁判所は、原告らが在宅介護を予定していたことから、入所者が施設に入居し続けたとはいえず、施設利用料分の控除は相当でないとして否定した。遺族固有の慰謝料は、配偶者250万円、子各75万円が認められた。

弁護士からのコメント

本判決は、特別養護老人ホームにおける認知症入所者の洗剤誤飲事故について、異食行動の具体的兆候がなくても、認知症の程度と行動傾向から予見可能性を認め、施設の安全配慮義務違反を肯定した事例です。

注目すべきは、裁判所が予見可能性の判断において、具体的な異食の先行行為ではなく、認知症の程度(記憶障害・見当識障害の進行状況)と行動傾向(口渇で自ら洗面所に行き水を飲む)の組合せから、誤飲の「具体的な可能性」を認識できたとした点です。被告は異食行動が見られなかったことや新聞を読む習慣等を挙げて予見不可能と反論しましたが、裁判所は認知症の進行性も含めて総合的に判断しました。

また、注意義務の内容として、入所者本人が使用しない物品と本人が使用する物品(歯磨き粉等)を区別し、前者については入所者の自律的行動のために周囲に置く必要がないとした判断は、介護施設における危険物品の管理基準として参考になります。以前のショートステイでは天袋で保管していたという事実が、保管場所変更の容易さを裏付ける根拠として重視されました。

過失相殺・素因減額がいずれも否定された点も実務上重要です。特別養護老人ホームは認知症の入所者を前提にサービスを提供する施設であることから、認知症による誤飲を入所者の過失として考慮することは相当でなく、高齢や認知症を素因として減額することも公平の観点から認められないとされました。介護施設事故における過失相殺・素因減額の限界を示した判断です。

関連する判例集

関連するよくある質問

  • 関連する質問はありません。

よくある質問をもっと見る

^
産科医療に関するご相談はこちら