長野県立こども病院・心臓術後死亡訴訟―冠動脈圧迫のリスクは予見できたか
長野県立こども病院(安曇野市)で2020年12月、先天性心疾患を有する1歳の女児が根治手術を受けた直後に右冠動脈圧迫による右室虚血を発症し、緊急手術が行われたものの、2021年2月に死亡しました。両親は、運営する県立病院機構に対し約8300万円の損害賠償を求めて長野地裁に提訴しています。
両親側の主張は、女児の心臓は右冠動脈が大動脈と肺動脈に挟まれやすい解剖学的構造であり、手術により虚血が生じるリスクがあったのだから、術中に血流を注意深く観察し、右冠動脈が圧迫されないようにする注意義務があったというものです。これに対し、病院側は「右冠動脈の血流低下は生じていない」として請求棄却を求めています。
先天性心疾患の手術は、小児医療の中でも最も高度な領域の一つです。心臓の構造が一人ひとり異なり、術式も複雑で、術中・術後の合併症リスクは成人の心臓手術と比べても高い。それだけに、「不幸な結果が生じた=過失がある」とは単純に言えない分野でもあります。
本件で注目すべきは、両親側が解剖学的な構造上のリスクを具体的に主張している点です。右冠動脈が大動脈と肺動脈に挟まれやすい構造であったという主張は、術前の画像評価で予見可能なリスクだったことを意味します。予見可能であったなら、術中にそのリスクに対応するための注意義務が生じるのは法的には自然な帰結となります。
一方、病院側は「血流低下は生じていない」と真正面から事実を争っています。つまり、過失以前の問題として、そもそも原告が主張する機序(右冠動脈圧迫による虚血・右室虚血とありますがおそらく右室梗塞)自体を否定する構えです。こうなると、裁判の帰趨は術中記録や術後の検査データの医学的評価にかかってくることになります。
本件は、少なくとも以下の3点が主要な争点になると思われます。
第1に、術後の虚血の有無とその機序。病院側が血流低下自体を否定している以上、心電図の変化、心エコー所見、術中の灌流記録、そして病理所見を含めた客観的データの分析が中心となります。
第2に、術前の予見可能性。女児の冠動脈走行の解剖学的特徴が、術前のCTや心臓カテーテル検査で把握されていたか。把握されていたならば、術中にどのような対策を講じるべきだったか。
第3に、因果関係。仮に過失が認められたとしても、注意義務を尽くしていれば救命できたかという点が問われます。先天性心疾患の根治手術において、術後の合併症による死亡を回避できたかどうかは、医学的に最も評価が分かれるところですが、本件では圧迫さえしなければ問題がなかったといえるのであればそこまで難しい判断にはならないかもしれません。
1歳の女児の根治手術ですので、ご両親にとっては、我が子の未来を託した手術だったはずです。手術から死亡まで約2か月間、ご両親がどのような思いで過ごされたかを想像すると、私も子供がおりますので、とても胸が痛みます。相当の覚悟で提訴なされたものと思います。
小児心臓外科の訴訟は、医学的にも法的にも極めて専門性が高く、協力医の確保を含めた入念な準備が不可欠です。
今後のこの裁判の行方を注視したいと思います。