患者(被害者)の属性
66歳 女性 統合失調症判例要旨
控訴人が,被控訴人病院の個室トイレ内で転倒して左急性硬膜下血腫の傷害を負い,左上下肢麻痺等の後遺症が残存した事故について,被控訴人には診療契約上の安全配慮義務違反がある旨主張して,被控訴人に対し,債務不履行による損害賠償請求権に基づき,損害金4061万3192円及びうち3534万7992円に対する訴状送達の日の翌日である平成30年2月17日から,うち526万5200円に対する平成30年8月9日付け請求の拡張申立書送達の日の翌日である同年8月14日から,各支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下,単に「民法」という。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案
認容額:1743万7023円
争点
(1) 被控訴人の本件診療契約上の安全配慮義務違反の有無(争点(1))
(2) 控訴人の損害額(争点(2))
重要な判示(過失)
被控訴人の本件診療契約上の安全配慮義務違反の有無(争点(1))について
(1)被控訴人の本件診療契約に基づく安全配慮義務の内容について
「本件診療契約は,統合失調症に罹患した控訴人が,被控訴人病院に入院した上で,被控訴人から診療行為の提供を受けることを目的とするものであるから,被控訴人は,医療事業者として,本件診療契約に基づき,患者である控訴人に対し,具体的に予見することが可能な危険からその生命及び健康等を保護するよう配慮すべき義務を負うと解される。」
(2)本件事故の予見可能性について
「①控訴人が本件個室トイレで転倒する具体的危険性があったか,②被控訴人において,控訴人が本件個室トイレで転倒する具体的危険性を予見し,①又は予見することができたかについて検討する。」
①について
「①控訴人は,被控訴人病院に入院した直後の平成27年2月5日頃から,処方された統合失調症の治療薬リスペリドンの副作用によって錐体外路症状が現れ,同年4月21日頃からは,錐体外路症状として,前傾姿勢に加えて,上半身が右へ傾くようになり,同年5月18日頃からは,歩行時に看護師らが手引きなどの介助を行わなければ転倒する危険性が高い状態となっていたこと,②控訴人は,平成27年5月2日~同年8月28日の約4か月間において,被控訴人病院内において,少なくとも16回転倒したことが認められ,控訴人は,リスペリドンの副作用により,転倒しやすい姿勢になり,現に転倒を繰り返していたことが明らかである。
加えて,前記認定事実によれば,控訴人は,平成27年7月下旬頃から,椅子に座っている際に,床を蹴る動作をするようになったこと,同年8月25日及び同月28日には,椅子と一緒に後ろ向きに転倒しており,うち1回は,後頭部を打撲したことが認められる。このように,控訴人は,故意か不注意かは明確ではないものの,本件事故の直前には,座位からであっても,後方に転倒し,頭部を受傷する具体的な危険性が存在していた。
そして,前記認定事実によれば,本件個室トイレは,狭い空間ではあるものの,控訴人は,本件事故時の身長が155cm,体重が36.9kgと相当小柄であったのであるから,転倒の状況によっては,控訴人が本件個室トイレ内の狭い空間に入り込んで頭部を床面に打ち付けたり,頭部を便器やトイレットペーパーのホルダー等に打ち付けて頭部を受傷する危険性があったといえる。
さらに,前記認定事実によれば,控訴人は,本件事故の直前である平成27年8月28日午後7時30分頃~同40分頃の間に,睡眠作用があるエバミールを服用したこと,エバミールは,使用上の注意として,高齢者では運動失調等の副作用が出現しやすく,薬物動態として,服用から1~2時間で血漿中有効成分濃度が最高濃度に達するとされており,本件事故が発生したと推定される同日午後8時40分頃~午後9時30分頃の間は,エバミールの睡眠作用が最大限発揮されていたことが認められるのであって,エバミールの服用により転倒の危険性が高まっていたといえる。
以上によれば,控訴人は,本件事故の当時,本件個室トイレにおいても,立位であると座位であるとを問わず,転倒して頭部を受傷する具体的な危険性があったと認められる。」
②について
「前記認定事実によれば,被控訴人は,控訴人の16回の転倒に関しては診療録にも記載していたこと(たびたび頭部を受傷している。),被控訴人は,控訴人の病室を変更し,監視カメラとテレビモニターを設置し,控訴人にヘッドギアを着用させていたこと,被控訴人は,平成27年6月25日,控訴人の転倒リスクについて,本件マニュアルの最も高いランクの「危険度Ⅲ(身体損傷・転倒・転落をよく起こす)」と評価したことが認められ,控訴人が転倒する危険性が高いと認識した上で,その対策を講じる必要性も認識していたことは明らかである。
以上によれば,被控訴人,すなわち,本件事故当時の担当看護師であるH看護師及びC看護師において,控訴人が本件個室トイレで転倒して,頭部を受傷する具体的危険性を予見し,又は予見することはできたというべきである。」
(3) 本件事故の結果回避義務とその不履行について
「前記認定のとおり,H看護師は,平成27年8月28日午後8時~同日午後8時30分頃の間に,本件個室トイレ内に控訴人がいることに気付き,解錠してオムツ交換までし,その時点で,控訴人が排泄行為をしている様子がなかったにもかかわらず,再び本件個室トイレのドアを閉めたというのであるから,H看護師が前記注意義務に違反したことは明らかである。
また,前記認定のとおり,C看護師は,同日午後8時40分頃,他の患者から,個室トイレが長時間使用中になっているとの苦情を受け,本件個室トイレ内に控訴人がいることを確認しながら,声掛けをしただけで,解錠することなく,そのまま立ち去ったというのであるから,C看護師もまた前記注意義務に違反したことは明らかである。」
重要な判示(因果関係・損害)
因果関係の有無について
「前記のとおり,H看護師及びC看護師には,結果回避義務違反が認められるから,被控訴人には本件診療契約上の安全配慮義務違反が認められる。そして,前記のとおり,H看護師及びC看護師が控訴人を本件個室トイレ内に確認した時点では,控訴人は現認されたり,声掛けに反応していたのであるから,その時点で本件事故が発生していなかったことは明らかであって,H看護師及びC看護師がその時点で,前記結果回避義務を尽くして,控訴人を本件病室に連れ戻していれば,本件事故が発生しなかったものと認められる。
したがって,被控訴人の安全配慮義務違反と本件事故との間には,相当因果関係が認められるから,被控訴人は,本件事故発生につき,債務不履行による損害賠償責任を負い,控訴人が本件事故によって被った損害を賠償する責任がある。」
損害について
(1) 傷害慰謝料 321万円
(2) 後遺障害慰謝料 1000万円
「前記認定事実によれば,控訴人は,本件事故前は,錐体外路症状により歩行に支障が生じていたものの,被控訴人病院を一人で歩いて移動することは可能であり,また,自らの意思を看護師らに対して言葉で伝えることはできていたのであるが,本件事故により,急性硬膜下血腫後遺症及びそれに伴う廃用症候群の後遺障害が残存し,左上下肢の麻痺が生じ,咀嚼が困難になって嚥下障害が認められ,発語が単語しかできなくなり,車椅子の利用を余儀なくされたことが認められる。
他方で,前記認定事実によれば,控訴人は,本件事故の直前の頃には,錐体外路症状の影響や統合失調症による幻覚妄想のために,一人で通常の社会生活を送ることは困難であったことが認められる。
以上のような,本件事故前における控訴人の心身の状態,本件事故による後遺障害の内容及び程度等の諸般の事情を踏まえれば,控訴人の本件事故による後遺障害慰謝料については1000万円をもって相当と認める。」
(3) 治療費 41万1647円
(4) 付添看護費 44万0926円
(5) 入院雑費 0円
「控訴人は,本件事故による治療のために,高知赤十字病院,高知病院及びb病院に入院していたものの,本件事故によって新たに入院治療を余儀なくされたとか,新たに入院雑費相当額の損害を被ったとは認められない。」
(6) 弁護士費用 140万円
(7) 将来の介護費用(将来の医療費) 0円
(8) 将来の入院雑費(将来のオムツ代) 0円
(9) お見舞い費用 197万4450円
(10) 合計 1743万7023円
弁護士からのコメント
原審では原告(控訴人)の請求が全部棄却されており,高裁で逆転した事案です。
控訴審では,リスペリドン及びエバーミールの副作用により転倒しやすい状況であったこと,個室トイレは狭い空間ではあるが控訴人が小柄であり,頭部を床面,便器やトイレットペーパーのホルダー等に打ち付けて頭部を受傷する危険性があったことなどを認定して,転倒により頭部を受傷する具体的な危険性があったと認めました。
また,被控訴人における転倒に関する具体的予見可能性については,過去16回の転倒について診療録に記載していたことや,病室に監視カメラとテレビモニターを設置していたこと,ヘッドギアを着用させていたこと,転倒リスクを最も高いランクの「危険度Ⅲ」としていたことなどから頭部を受傷する具体的危険性につき予見可能性を認めました。
後遺障害慰謝料については,本件事故による急性硬膜下血腫後遺症及びそれに伴う廃用症候群の後遺障害が生じたとしたうえで,本件事故の直前の頃には,既に錐体外路症状の影響や統合失調症による幻覚妄想のために一人で通常の社会生活を送ることは困難であったことを考慮して,等級認定はせずに,後遺障害慰謝料を1000万円と認定している点が特徴的です。