患者(被害者)の属性
昭和12年生まれの高齢の女性 見落としの時点:74歳11か月判例要旨
被告法人の設置する本件病院において頭部MRAの検査を受けた原告が、担当医が未破裂脳動脈瘤を見落とし、未破裂脳動脈瘤の治療に関する説明を受けられなかったために、直ちに未破裂脳動脈瘤に対する治療を受けられず、又は経過観察及び未破裂脳動脈瘤に対する適時の治療を受けられなかった結果、その後脳動脈瘤が破裂して、くも膜下出血を発症し、後遺障害を負った(予備的には、外科的治療を選択する機会を奪われた)と主張して、同担当医の使用者である被告法人に対し、使用者責任又は債務不履行による損害賠償を求めた事案
争点
争点1 因果関係
争点2 原告の自己決定権が侵害されたか
争点3 原告の被った損害額
重要な判示(過失)
脳動脈瘤の見落としに過失があることについては争いがない。
重要な判示(因果関係・損害)
【争点1・因果関係について】
(2) 原告が直ちに外科的治療を選択した高度の蓋然性があったかについて
ア 前認定の未破裂脳動脈瘤に関する医学的知見によれば,原告の本件脳動脈瘤のように無症候性の未破裂脳動脈瘤に対する外科的治療は,脳卒中ガイドラインにおいて,外科的治療の検討が推奨される一定の基準が定められていたものの,その推奨グレードは低く(前記認定事実(1)イ(イ)),積極的に外科的治療を選択すべき症例に関する明確な基準は定められていなかったこと,治療の方針については,未破裂脳動脈瘤の自然歴などの正確な情報の説明を受け,当該脳動脈瘤の破裂リスクや予後の見通しと外科的治療(開頭クリッピング術及び血管内治療)に伴う合併症発生のリスク(治療リスク)とを比較し,外科的治療と保存的治療(経過観察)との利害得失を衡量した上で,十分なインフォームドコンセントを経て決定されることが推奨されていること(同(ア)),治療方針においては,外科的治療を受けずに保存的に経過を観察することも一つの選択肢となること(同(ウ))が認められる。これらを総合すれば,予防的な治療である未破裂脳動脈瘤に対する外科的治療を受けるかどうかは,破裂リスクが治療リスクに比して極めて高い場合(例えば,患者が若年であり,かつ,大きさ等に照らし年間破裂率が高いと推測される場合〔証人B医師【11頁18行目から12頁2行目まで】〕)などを除いては,十分な説明を受けることを前提に,各患者及びその家族の選択に委ねられるものと認められる。
イ そこで,原告の症例(本件脳動脈瘤)に係る破裂リスク及び治療リスクについてみると,本件脳動脈瘤と同様に,後交通動脈分岐部に存在し,最大径が7mm未満の動脈瘤の年間破裂率は0.58%であり(前記認定事実(1)ウ(ア),(3)ア),原告が当時74歳11か月で,平成24年簡易生命表によると平均余命が16.08年であったこと(同(2)ア)からすれば,本件脳動脈瘤の破裂リスクは概ね9.3%(計算式は,0.58%×16.08)と考えられ(なお,当時は,UCASジャパンの研究結果の発表から間もない時期であったため,B医師は,年間破裂率が概ね1%であることを前提に説明しており〔乙A2,証人B医師【9頁23行目から11頁11行目まで】〕,これを前提とすれば,破裂リスクは16%前後となる。),他方で,本件脳動脈瘤の治療に伴う合併症等のリスクは,1.9~12%であった(同(1)ア(イ))。
このような外科的治療と保存的治療(経過観察)との利害得失の衡量に加え,原告の年齢などを勘案すれば,原告は,外科的治療を検討してもよい症例ともいえる(同イ(イ))一方で,破裂リスクが治療リスクと比べて極めて高いとはいえず,医師において積極的に外科的治療を勧めるべき患者であったとまでは認め難い(B医師においても同旨供述している〔証人B医師【20頁18行目から22頁1行目まで】〕。)。そして,原告と同じ立場(年齢・性別・症例・背景因子等)に置かれた通常の患者が,医師から上記のような本件脳動脈瘤の破裂リスクや治療リスクについて説明を受けた上で外科的治療を選択するかどうかは,前記アで説示のとおり,各患者やその家族の考え方に委ねられるところであり,破裂リスクが治療リスクを上回ることの一時をもって,外科的治療を選択した高度の蓋然性があるということはできない。また,統計資料によっても,高齢者で外科的治療を受ける者の割合は有意に少なく(75歳以上の高齢者で11%程度,65~75歳で46%にとどまる〔前記認定事実(1)ウ(オ)〕。),大きさや部位別の統計を見ても,本件脳動脈瘤と同部位又は同程度の大きさの脳動脈瘤につき,外科的治療を選択する割合は,いずれも5割前後にとどまる(同。ただし瘤単位の統計である。)。こうした統計数値に照らせば,高齢者の場合,本件脳動脈瘤と同部位又は同程度の脳動脈瘤が存在することを告知されても,保存的治療(経過観察)を選択する患者が一定数存在することがうかがわれる。
以上のことを総合すれば,本件脳動脈瘤が発見され,適切な説明を受けたとしても,原告が,本件脳動脈瘤につき,保存的治療(経過観察)を選択した可能性も相当程度あったというべきであり,外科的治療を選択する高度の蓋然性があったということはできない。
(4) 小括
以上によれば,本件診察時に本件脳動脈瘤が発見され,本件脳動脈瘤の治療に関する適切な説明を受けられたとしても,原告が直ちに又は経過観察中に,本件脳動脈瘤に対する外科的治療を選択した高度の蓋然性があったとはいえず,B医師の注意義務違反ないし被告の債務不履行と本件脳動脈瘤の破裂による原告のくも膜下出血発症によって生じた結果発生との間には,相当因果関係が認められない。
【争点2・原告の自己決定権が侵害されたかについて】
前記2で説示のとおり,未破裂脳動脈瘤が発見されていた場合には,原告は,医師から,外科的治療と保存的治療(経過観察)のいずれを選択するかについて,これを熟慮の上判断することができるように,本件脳動脈瘤の破裂リスクと治療リスクなど,各治療方法の利害得失について説明を受けることができていたはずである。
しかるところ,原告が頭蓋内精査の目的で被告病院を受診し,同病院で撮影された頭部MRA画像には,本件脳動脈瘤を診断できる所見が存在したのに,B医師が注意義務違反によりこれを見落としたため(前記第2の2),原告は,これに引き続く本件脳動脈瘤に対する治療方法に関する説明を受けることができず,外科的治療を選択する機会を奪われ,原告の自己決定権が侵害されたと認められる。
【争点3・原告の被った損害額について】
(1) 前記2で説示のとおり,B医師の注意義務違反ないし被告の債務不履行と原告のくも膜下出血発症による結果発生との間には,相当因果関係が認められないが,前記3で説示のとおり,B医師が本件脳動脈瘤を見落とした注意義務違反によって,これに引き続く本件脳動脈瘤に対する治療に関する説明を受けられず,外科的治療を選択する機会を奪われ,自己決定権を侵害されたことが認められる。
そして,原告が本件脳動脈瘤に対する治療に関する説明を全く受けられなかったこと,本件脳動脈瘤に対する外科的治療の適応は一応あったと認められること,原告は,本件脳動脈瘤の破裂によって,クモ膜下出血となり,これに伴って続発性水頭症を発症し,一時は,日常生活動作機能評価が6/19点(平成25年6月7日から同年7月11日まで),長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)の評点が17/30点(同年7月19日)や6/30点(同年8月5日)まで低下するなど,日常生活動作及び認知機能がいずれも悪化した状態が概ね6か月間続いたこと(乙A6〔5,6頁,44頁表裏,46頁裏など〕),もっとも,同年8月16日に神鋼病院でシャント手術を受け(前記前提事実(2)エ),神戸リハビリテーション病院での3か月間のリハビリを経て,日常生活動作及び認知機能はいずれも改善し,同年12月12日の退院時には,日常生活動作機能評価が0/19点(平成25年9月5日から同年12月12日),長谷川式簡易知能評価スケール(HSD-R)の評点が27/30点に回復し,見当識・病識が改善され,入院した経緯やリスクの理解が可能になっていたほか,若干の記銘力低下についても,ノート等の代替手段の学習ができており,スケジュール管理も可能になっており,日々のエピソードも記銘,回想可能な状態に回復するなどし,「くも膜下出血後遺症」については「治癒に近い状態」と診断されたこと(乙A3〔81頁〕,乙A6〔88頁表裏,91表裏,92頁表,139,141頁,152頁表,195頁表〕)など,本件に顕れた一切の事情を勘案すれば,原告が自己決定権を侵害されたことにより被った精神的苦痛に対する慰謝料は,300万円を下ることはないと認めるのが相当である。
弁護士からのコメント
本件では,高齢者であることや,破裂率がそこまで高くないことなどから外科的手術を受けた可能性はそこまで高くないと判断されましたが,その一方で,自己決定権の侵害として300万円の慰謝料を認めました。
患者が若年であれば生涯破裂率は高くなりますし,また手術を望む割合も当然高くなります。サイズがどの程度であったのか,ブレブ(膨らみのようなもの)や不整形があったのかという観点や合併症のリスクも踏まえて,事案によっては外科的手術を受けた可能性が高いということで,後遺障害の発生との因果関係が認められることも当然にあると考えられます。
本来は脳動脈瘤の見落としは,破裂によるくも膜下出血のリスクを考えると,極めて問題のある行為となります。この事件では死亡には至りませんでしたが,死亡や重篤な後遺障害が残存するリスクもあります。そのような事案では,安易に因果関係を否定すべきではなく,また仮に因果関係を否定して自己決定権の侵害のみを認めるとしても,慰謝料の金額はケースによっては高額とすべきものと思われます。